【開催レポート*第二部鼎談全文*前編】まちだづくりサロン特別編「私が動く、地域が変わる~今見つめ直す市民活動の価値と未来」
2021年10月23日、わくわくプラザ町田で行われた、まちだづくりサロン特別編<私が動く、地域が変わる~今見つめ直す市民活動の価値と未来>。第一部の講演会では、NPO法設立の立役者の一人山岡義典さんに講演をいただきました。
第二部では、法政大学時代の山岡さんの教え子であり市内でNPO法人プラナスを運営している高井大輔さん、サポートオフィススタッフ橋本空の法政大学多摩キャンパス3世代鼎談を実施しました。ここからは、第二部鼎談の全文をご紹介します。
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オープニングトーク~3世代鼎談開催にあたって~
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*町田市地域活動サポートオフィス喜田、以下喜田:
皆さまこんにちは。ここから進行を務めさせていただきます、町田市地域活動サポートオフィスの喜田と申します。本日の鼎談を「3世代鼎談」と名付けさせていただいたのは、山岡さんが70代、高井さんが30代、そして橋本が20代という意味で「3世代」なので、タイトルに入れさせていただきました。
山岡さんが日本で市民社会をもっと豊かにするための大事な道具としてNPO法というものを作ろうと運動されてきたのがちょうど20数年前。そして高井さんが学生になって山岡先生の元で学び、そのおかげかどうか、道を誤って?(笑) NPOの世界のどっぷりはまってしまったのが、そこから10年後くらいのこと。大学を卒業してNPOを職業に選ぶようになった第1世代が少しずつ増えてきた、そんな世代が高井さんかなと思います。その後、高井さんが卒業されて、ボランティアセンターの職員やNPOの職員をされるといった人生を歩み始めて10年が経ち、NPO法が出来て20年以上経ちましたね。
そして生まれてからずっとNPOが身近にある世代が橋本の世代です。学生時代から市民活動やNPOが身近にあり、SDGsや企業の地域貢献・社会貢献が謳われた時代を過ごしてきたソーシャルネイティブとでも呼びましょうか、生まれながらにしてソーシャルとか社会貢献ということを身近に感じてきた世代が橋本なのかなと思います。NPO法をめぐって考えると、ちょうど10年ずつ社会の中で活動してきた、そういう意味での「3世代」でもありますね。
この20年で公共セクターの担い手としてNPOが活躍し、「新しい公共」という言葉も出てきて、NPO法を取り巻く環境も変化してきました。今は全国のコンビニの数と同じくらいNPOがあるような時代になり、ある種社会的なインフラにもなりつつあります。しかし一方で失われた10年という言葉もあり、2011年には東日本大震災、2020年からは世界を巻き込む新型コロナウイルスの感染拡大で、社会がすごく大きく変わった20年でもありました。これからお話しいただくお三方は、見てきたもの、生きてきた社会が非常に異なっている世代の3人でもあると感じています。
まずは、若いお二人から現在の活動についてお話していただき、その後に山岡さんに「先輩教えて」という感じで、「今こんなことでモヤモヤしている」ことを、先ほどの講演の感想を含めてお話しいただくような場を作ろうと思っています。
最後に質疑や感想を会場の皆さまからいただく時間をたっぷり取っております。今日は山岡さん、高井さん、空さん、私の世代に近い方など全世代にお越しいただいておりますので、できれば各世代からお1人ずつ質問や感想をいただけると嬉しいです。それぞれの世代が感じていること、そしてこれからの社会を皆でどうやって作っていこうということを共有できる時間になるといいなと思います。
でははじめに、高井さんから自己紹介を兼ねて「私と市民活動」というテーマでお話いただきたいと思います。高井さん、よろしくお願いします。
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高井大輔さんによる「私と市民活動」
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今日は大きく分けて5つお話したいと思います。1つ目は私が所属しているNPO法人プラナスという団体について。2つ目は障がいを持っている方を主な対象として活動しているNPO法人プラナスの福祉と仕事作り、特に当事者の仕事とそこに関わる人たちの仕事をどう作っていくかという話。3つ目は私が法政大学に入ってからどうやってNPO法人を作って今活動しているかという立ち上げの話、4つ目は新型コロナウイルスの感染拡大が広まってからのNPO法人プラナスの変化と展開の話。最後はNPO法人プラナスが立ち上がって10年経ち、進むところもあれば戻るところもありましたが、どういう特徴を持って歩んできたかということをまとめて話したいと思います。よろしくお願いします。
【1】NPO法人プラナスについて
「プラナス」は、ラテン語で「桜」という意味です。日本では桜は色んな人が集まる場所の象徴として使われてきた植物で、花見があれば桜の木のもとにいろんな人が集まって宴会をするというイメージがあると思います。障がいがある人も同じところに集まって、同じ街について語っていこうよという意味を込めてプラナスという名前を付けました。ロゴには「障がいとともに暮らしを考える」と書かれています。色んな人たちが自分たちの暮らしを考えながら街を作っていこうということです。ロゴデザインはKOZAKIKAKUという町田に住んでいる小崎さんという方が10年前にデザインしてくださいました。Pという文字を使って、色んなカラーの人たちが手をつないでいる様子を表しています。
もともとプラナスは障がいを持っているお子さんを預かる放課後等デイサービスの運営をやっていましたが、卒業後に通う施設を作ろうと生活介護事業を5年前にスタートしました。その他、利用者の仕事を作るためのサポート等でなかなか仕事に就くのが難しい障がいを持っているお子さんのお母さんたちにも団体の仕事を担っていただいています。1番大きな事業は、町田特産品である町田シルクメロンの栽培です。作ったメロンを施設に持ってきて、利用者が箱に詰めて全国へ発送します。施設はもともと多摩境駅付近の町田市小山町あたりに拠点がありましたが、今は下小山田の里山に拠点を移しています。設立が2011年の1月で、同年4月から施設をスタートさせました。
【2】福祉と仕事作りについて
2つ目の話は福祉と仕事作りについてです。施設での作業には、さまざまなものがありますが、個人的にはただお金が得られるとか、時間が潰せるとか、そういうことではあまり意味がないと思っています。私たちが考えている仕事や作業で大切にしていることは大きく3つあります。
1つは地域とともに暮らせるようになる地域に根付いた仕事であること。例えば施設に集まって内職作業をして、もちろんそれも得意・不得意があるのでその作業自体が良い悪いではないのですが、そこだけにこだわってしまうとなかなか地域とつながらない。ちょうど私たちの法人がスタートしたのが東日本大震災のあった直後だったのですが、やっぱりあの時に「地域の方とのつながりがあると何かあった時に安心だよね」という話がすごく挙がっていたんです。だからこそ地域に根付いた仕事を作る必要があると考えています。
町田シルクメロンを加工して作っているメロンキャンディやメロンゼリーは、いろいろな人に手に取ってもらえるようなパッケージにして、街中のお店に置いていただいています。手に取っていただきパッケージの裏を見たら、実は障がいを持っている人が作っている商品だったんだ気づいてもらえると嬉しいなと思っています。自分たちの活動として終わるのではなく、やはり地域で必要とされる仕事を作っていきたいなと思っています。
2つ目は、自分に合った選択ができる、多様な仕事を作ろうということ。これは障がいを持っているいないに限らずですが、誰でも好きな仕事・嫌いな仕事、得意・不得意があると思います。せっかくやるなら好きな仕事がいいし得意な仕事がいいですよね。大変な部分もありますが、それぞれに合った仕事を選べるよう意識しています。
3つ目は、やりがいを感じられるのにふさわしい報酬を得られる仕事であること。工賃というのももちろん1つですが、工賃だけじゃなく、例えば自分たちで作った商品をお客様にお渡しした時に感謝を貰えるとかですね。作ったことが何かの形でリターンしてくる、そういったことが大事だなと思います。
【3】NPO法人プラナスの立ち上げの経緯
私は、法政大学入学当初は福祉に強い志があったというわけではなく、特にやりたこともありませんでした。
その後、所属していたテニスサークルの先輩に誘われて参加したのが、町田市障がい者青年学級という活動です。1年間かけていろいろな歌を練習してはコンサートで歌うといった活動をしました。ものすごくエネルギーのある活動で引き込まれてしまい、しまいには青年学級に参加するボランティアのリーダーになっていました。この活動は今でも関わらせていただいています。
僕はテニスがとても大好きだったので週に3~4日はテニスをやっていたのですが、テニスの活動と重ならないようにゼミを選んだら、今日講演会でお話しされた山岡先生のゼミしかなく(笑)。その当時、山岡先生は僕の学年では授業をやっていなかったので、同学年で山岡先生のこと知っている人は1人もおらず、結果的にほぼ1人で3年間先生のゼミを受けることになりました。今となってはありがたいことだと思っています。
当時法政大学にボランティアサークルが15団体ほどあったのですが、学生が入ったり辞めたりしている話を聞く中で、「学生のニーズと実際の活動が合っていないんじゃないか」と疑問を持ちました。それをゼミの時に山岡先生に話したところ、「ガイダンスのような説明会があるといいんじゃないかな」とアドバイスをいただき、実際にボランティアガイダンスという活動を始めました。
それが展開していく中で「こういう積み重ねをしていくことで、大学側が学生ボランティア活動と地域活動をつなげられるようになり、ボランティアセンターが生まれるかもね」というアドバイスを先生に頂いたので、その話を信じて仲間たちと活動を進めていったのです。
また、当時時修士課程に通われていた方に、相原にある高齢者施設の職員さんがいらっしゃっいました。その方に案内していただき、相原にある小学校や高齢者施設、町内会等、いろいろな団体や施設を見学しました。この経験のおかげで、市区町村の単位は分かるけれども、「地域」と聞いてもピンと来なかった私が、「地域」を初めて認識できるようになったのです。
例えば、小学校でできるボランティア活動は子ども支援だけと思うじゃないですか。でも実際は、国際協力をやっているサークルが小学校で子どもに国際協力について教えることも国際協力の活動になるし、運動をやっている学生が高齢者施設に行き、高齢者と一緒に運動をすると、それが1つの活動として成り立つ。今までは1つのサークルと1つの団体とが1対1でやっていた活動が、「地域」が見えてくると「エリア対大学」になり、活動の勢いが加速化したんです。
ありがたいことにボランティアガイダンスをやる中で、さまざまなサークルを知っていましたから、それがうまい具合につながって、新しい活動が生まれる流れができてきました。「そうか、これが地域なんだ」というのが分かってきて、次第とボランティアセンターの立ち上げにつながってきたのかなという感じがしています。
こうして私が大学院に通っている時に法政大学にボランティアセンターが開設され、学生と地域を結ぶ仕事を担当していました。その間を縫うようにして2年間、山岡先生が理事長を務めている特定非営利活動法人 市民社会創造ファンドでバイトもしていました。この2年間でファンドの応募団体・申請団体の申請書を1000通くらい読み込んでいたんです。それぞれに想いがある申請書をひたすら読ませていただいたっていうのは、この後の活動にものすごく役に立ちました。
もう一つ、現在にも大きな影響を及ぼしているのは、山岡先生も関わっていた法政大学の社会企業研究会です。ちょうどその時テーマだったのが日本全国の障がいを持っている方の関わる商品作り・仕事作りでした。まさに現在の自分がやろうとしている、やっていることを研究していて、おしゃれな器を作ったり、北海道でシステム的に栽培量を上げて全国に売って展開している農家さんがいたりといった取り組みを見させていただきました。それら全国の先進事例もすごく参考になり、今の仕事につながっています。
私たちは施設を運営していますが、施設だけですべて完結するわけではなく、何かが起きた時に市民の助け合えるネットワークがあると、福祉サービスの中で何か起きた時に助けになる、補完することがあるんだということをこの実践で学ばせていただきました。だからこそ施設の運営だけでなくて、常に地域とどうつながりを作るかというのがすごく重要で、そういった考えは今の仕事にも活きているかなと思います。
僕はボランティアセンターの職員をやっている時に、学生と参加した障がいを持っている方のサークル活動が多摩境駅の周辺で行われていました。多摩境駅付近と言えば10年前くらいにマンションがすごく建って、人口が増えたところなんです。だから子育て世代がすごくいっぱいいて人口が増えたのですが、急に増えたから福祉施設がないんです。未だにほとんどない地域です。
その中でも当然障がいを持っている方がいて、行く場所がないからお母さん方がたまに町内会館を借りて集まって活動していた。それで「困っています、どうにかなりませんか」とボランティアセンターに相談が来て、学生と一緒に1~2年くらい活動しました。その時は、先ほど山岡先生が話されていたグループ(G)から組織(O)になるところだったのですが、やはりお母さん方がコアになってずっと活動するには限界があるので、どこかのタイミングで施設としてやっていくしかないよね~ということで立ち上げたのがNPO法人プラナスという団体です。だからそこでちょうど法人(C)になりました。
【4】コロナ下における団体の変化と展開
新型コロナウイルスの感染症拡大前は、販売先も増え商品の固定客もついてありがたい状況だったのでしたが、感染症拡大につれて売れる場所も売れる量も一気に減ってしまいました。
障がいを持っている利用者の方たちは、施設に来てくれたものの、実際にこの先どうしようかと…。
今「新型コロナウイルスの感染拡大以前、売り上げが上がってきた」と申し上げましたが、実際には利用者の方の工賃としてプラスされた額は月にせいぜい3,000~4,000円くらい。もちろん工賃が上がることは重要なのですが、工賃が数千円増えても、利用者の方の生活が劇的に豊かになるかというとそれは疑わしい。むしろ「たくさん売ってもこれしか変わらないのか」という葛藤もあったんですね。この先は「工賃を上げる」だけではなく、全く違う視点を探さないといけないのではないかと、コロナ下で皆で考えはじめました。
お金はないけれど、自分たちの食事に活用できる資源は身の周りにいっぱいあるよねという話が出ました。そこで自分たちにできることして考えたのが「自分たちの食事をいいものにしていこう」という活動です。
活用できる資源としてまず思い浮かんだのは、以前から地域の方から教わって作っていた味噌や醤油や梅干し作りのノウハウ、次に思い浮かんだのは、施設の敷地内にある果物でした。商品販売で忙しかった時は、施設の敷地内で実った果実はポトポト落としてしまっていたし、山菜は採られずそのまま枯れていた。もったいなかったんですよね。時間はかかるけど、そういうものを大切にすれば、お金がなくてもいい食材が集まる。
「いい食材でいいごはんを作って施設で出しています」ということを写真と共にブログで発信していったら「うちの食材を使ってよ」と言ってくださる方が出てきました。例えば20~30㎏くらいのレーズンをどーんともらったり(笑)。さらに発信を続けているとありがたいことに「使っていいよ」「使ってよ」「提供するから宣伝してよ」と言ってくださる方もたくさん出てきました。
【5】プラナスの特徴
私たちプラナスは10年間活動してきましたが、何が特徴的だったかと言うと、まずは積極的に地域で動けたことで信頼を獲得できてきたことです。ありがたいことにプラナスは、利用者もお母さん方も地域行事などに楽しみながら参加してくださるので、地域の方が「プラナスってこういう団体だよね」と知ってくださったことが大きかったです。
次に福祉施設だからと言って福祉にとらわれず、いろいろな方とつながりが生まれたことです。いただいた話には「はいやります」とまずは言ってやってみる。その試行錯誤の中で自分たちの強みが分かってきました。うちは法人化してすぐに商工会議所に入り、商工会の方にいろいろ支援していただきながら商品開発をしていました。
最後の1つは「自分たちが何者なのか」ということを常に意識してきたことです。会うタイミングでは「メロンのプラナス」、最近では「いいごはん作っているプラナス」というようにイメージしてくださる方も増えてきました。
そういうイメージが無くなってしまうと、なんとなく人の意識から外されてしまうと思うんです。イメージがその人の頭の中にあれば、例えばこの食材提供したいなと思った時に「あ、プラナスがあったな」って思い出してくださる。「私たちは●●だよ」というものがないと、忘れ去られてしまうので、私たちは何になりたいのか、もしくは何になれているのかということを試行錯誤し、自分らしさをイメージし、発信をしながらここまで歩んできました。
新潟に変わった本屋さんがあって、本を注文すると著者のサインじゃなくて、本屋さんのオーナーのサインが入って送られてくるんです。ちょっと前にその本屋で買った本に「人生というアートを生きるために、なりわいを作ろう!」とメッセージが書いてあったのです。まさにその通りで、試行錯誤する中で「自分というものがどういうものなのか」を見つけながら仕事も作っていくー。その姿勢が組織的になったのがプラナスかなと思っています。以上です。ありがとうございました。
*喜田:
高井さん、ありがとうございました。先ほどの山岡先生が話していた<市民活動のPからC>のお話しと、<ごちゃまぜ理論>のお話も想起させるお話しでしたね。では続けてサポートオフィスの橋本から、自己紹介を兼ねて学生団体の時からずっと続けている市民活動の紹介をしてもらいたいと思います。
*第二部鼎談全文*後半に続く
(こちらから後半をお読みいただけます)