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実施報告performance

実施報告 2024年10月18日

【実施報告】まちカフェ!インクルーシブ研究会vol4「障がいと共に地域で自立して暮らす」

9月5日(木)、まちカフェ!オープンデー内で<まちカフェ!インクルーシブ研究会>を開催し、24名の方にご参加いただきました。講師は、当日は障がいを持ちながら地域で生活をされている前田のはらさんとお母様の前田知子さんです。当日は、前田知子さんに親の立場から、のはらさんのキャラクターや自立生活のことをご紹介いただきながら、参加者の皆さんに質問を投げかける形で進んでいきました。


インクルーシブ研究会vol4  結論と考察

1 自立とは、一人で全部できるようになることではなく自分で選択して生きていくこと。

2 何か困ったことがあったらそのつど柔軟に軌道修正していく。

3 認められて尊重されたという経験が自立につながる。

考察: どんなに制度や設備が充実したとしても、誰にとってもぴったり合うサービスというのはなかなかありません。そんなときは、人の手を借り、軌道修正しながら進んでいく。自立生活のプロセスから沢山のヒントをいただきました。

 

登壇者が写っている写真

右から二番目が前田のはらさん、画面中央が前田知子さん。


<前田のはらさんについて>

性格はオープンで楽天的な人です。人が好きで、今日のような人が集まる場も大好きです。趣味はヘアゴムを集めることや、神奈川中央交通の展望映像を観ること。そして彼女を形作る特徴の一つが、障がいがあるということです。彼女には3つの障がいがあります。1つ目は、知的障害。音声言語や数字の概念が理解できません。愛の手帳は2度です。2つ目は聴覚障害。両耳ともあまり聞こえていなくて、補聴器もつけていますが、彼女にとっては音がするなというくらいにしか聞こえていないと思います。3つ目は、四肢障がいです。歩けるけれど走れない、手も大きな動きはできますが細かい動きが難しいなどというものです。身体障害者手帳は1種1級です。

続いて育った経歴についてです。生まれて数ヵ月の頃から町田市子ども発達センターすみれ教室という療育機関に通っていました。小学校は隣の学区の肢体不自由児学級の学校、中学・高校は都立町田の丘学園(特別支援学校)に通っていました。卒業して、現在は社会人3年目になりました。

★ここで皆さんに質問!
のはらさんと周囲の人は普段どんなコミュニケーションを取っていると思いますか?
・身体で表現している?(参加者より)
・のはらさんなりのボディランゲージがあったりします。手話ではないけど訴えは身体で表現しています。(のはらさんのヘルパーより)

 

<のはらさんの一人暮らし生活について>

一人暮らしといってもたった一人で自分のことをすべてやっているわけではなく、24時間365日誰かの介助が必要なので、一人になる時間はありません。現在7人のヘルパーさんが生活を支えてくれています。日中は作業所に通っています。私も家から30mくらいのところに住んでいるので様子はちょくちょく見ています。

<一人暮らしを選んだ理由>

皆さん自立生活運動はご存知でしょうか?1960年代にアメリカの障がい当事者(主に脳性まひ)の方々が、どんな人にもその人らしく生きる権利があるということを訴えました。障がいがあっても、仕事をしたり結婚したり子どもを持ったり、自分がしたい生活を好きな場所でするということを主張する運動です。それが世界に広がり日本にも上陸しました。それまでは障害があると「なんにもできなくて大変ね」「かわいそうね」という扱いでしたし、今みたいにエレベーターやだれでもトイレはありませんでした。洋式トイレだって探すのが大変な時代でした。

私自身は、のはらが産まれる前からヘルパーとしてずっと働いてきて今もヘルパーの仕事をしています。私はこう見えても白けた若者だったのですが、自立生活をしている人たちがとても強くてかっこよく、憧れるようになりました。今より制度が整っていなかった分、人と人との関係で困ったことは埋めていくという部分が大きくて、その経験にものすごく影響を受けました。

なんの因果か、私のもとにのはらが誕生しました。妊娠8ヵ月くらいに、脳の障がいがあることがわかりました。私はそれまでもかっこいい人たちに囲まれて生活していたので、障がいが分かってショックということはなかったです。相当気が早いですが、産まれて数ヵ月の頃から娘の自立というものをすでに考えていました。

どんな障がいがあっても一人の大人として自立して暮らせるように育てていくのが私の役割。親と子は別々の自我があり、私が一生面倒を見るというおごったことは思わない、ということを決めていました。一人で生活ができないならなおさらうまく人と関われるような性格になったほうがいいと思い、のはらが小学生の頃からヘルパーさんに来てもらい、子どもの頃から周囲の人との関係性が築けるように育てていました。

自立生活は私が望んだことであり、のはらが望んだことではありません。知的障がいの特性上、一人暮らしをしてみて初めてこのような選択肢があるということが本人にもわかるので、このままずっと一人暮らしをすることを決めているわけではなく、今後の様子を見ながら軌道修正していろいろ試していければと思っています。

一人暮らしに関しては、住居、介助者、お金のことなどシビアな問題はたくさんあります。仮にその3つがクリアしても本人がやりたいと思えるか、本人に合っているかどうかが一番大きな問題です。その点ではのはらは条件・環境・性格は合っていたと思いますが、決して誰にでもおすすめできるというものではありません。何が良い・悪いではなく、いろんな選択肢が持てることが大事だと思います。

★ここで皆さんに質問!
<自立>ってなんだと思いますか?・自分の生活を自分で選ぶこと。(参加者より)
・自分の選択で生活すること。(参加者より)

私はヘルパーという仕事をしていて、障がいのある利用者さんの食事・トイレ・移動など生活全般の介助をしていますが、私から見ると、皆さんどこからどう見ても自立した人に見えます。私も人の手を借りて頼って生きていますが、自分では自分のことを自立した人だと思っています。

同じように、のはらのことも自立している人と考えています。アパートを借りて10ヵ月経ち久々に彼女の家に泊まったときに、実家にいたときとはまったく違う空気をまとっていて、あっと声が出そうになりました。そのとき完全に巣立っていったなということを感じました。私自身も変化し、わが子の生きる力を信頼できるようになりました。親としては本当に幸せなことだと感じます。

知的障がいがあり、しゃべることができないということは、ささやかなことさえも決定権がないように見過ごされてしまうことがあります。「話さない=意思がない」と判断されてスルーされがちですが、周りの人たちがどうやったら意思表示できるかということを工夫してくれているからこそできることだと思います。

のはらを自立たらしめたものはなんだろう?と考えると、「認められて、尊重された」ということだと思います。人に信頼されるということを体験できたということだと思います。親から守られた安全基地から離れても、やっぱりこのままでいいんだと思えたことが空気を変えたのだと思います。それは、周りの人の愛と工夫の賜物です。

社会的弱者ということは庇護の対象ということではない。周りの人に認められて尊重されて、自分もそれと同じくらい自分を大事にする、それが自立の形だったと思います。支援を受ける側だけではない、社会の未来を担う側・支える側・作る側の一員として自分の責任を受けて立つということに一歩近づいていったと思っています。私は、そう思ってほしいと考えながら育ててきたし、のはらにはそういう力があると信じています。

 

会場の様子。人が円形になって座っている。

当日は参加者全員で大きな円を作ってお話を伺いました。最後は全員から一言ずつ感想もいただくことができました。

 


<参加者の感想>
・自立とは自分ができることではなく、選択ができるということなんだということが一番印象に残りました。
・今まで障がいのある方と関わったことがなかく自分ではあまり共通点がないと思っていましたが、自立の話を聞くと、自分にも共通したことがあるなということを感じました。
・日々忙しくしていて自分のことに精一杯になっていると周りの人に目を向けられなかったりすることもありますが、自分一人では生きていけないということが改めて気づきました。小さなことに気づいていけるようになりたいです。

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